記憶すなわち脊髄反射??
Sは一生懸命考え始めた。
特に想起に関しては人一倍興味を持っていた。
これはオカンに、「覚えることより思いだすことが自由自在になればいいのよ」と言っていたことに感化さてでもあった。
そうSはマザコンだった。
しかしここでは弁解を聞いてあげよう。
Sいわく「俺はマザコンではない。ファミコンなんだ!」と聞いている。
それはそうとして、Sが考え出した結果は「記憶の想起という活動は、これすなわち脊髄反射である」
そう結論付けた。
これが意味している所は、つまり情報Xがあり、それに脊髄反射のように思いだしたい情報Aが想起されるというものだ。
これは何も見ずに想起する場合も、内的な何かを使って想起しているのではないか、という仮説が引き出せる。
ではでは、この内的何かを引き出す情報がさらにあって、さらにそれを引き出す情報があってと無限に続くことが予想される。
Sは思った。
「結局想起するための情報の終着点は、外界からくる刺激なのではないだろうか」と。
したがって、S的に言わせれば外界にあるありふれた情報に何らかの変換をかけて覚えたいことと一緒に記銘し、想起するときはその場面を思いだして想起する。
これが最終的結論となるのは、まだまだ先の話( ^ω^)・・・。